2丁拳銃 駆け抜ける 


1.−行きつく先は全て“ROCK”−小堀裕之 

2.−いつも笑顔でいることのすごさ−川谷修士 

3.−電流走る、2丁拳銃駆け抜ける−2丁拳銃 


              1.−行きつく先は全て“ROCK”−小堀裕之

<初の“メンバー小堀(←合ってるんだけど何だか妙な表現)”によるプロデュース作品>
 である
 『青色』
 のテーマは
 “失った男の子の頃の気持を取り戻せ”
 がテーマである。
 細かいニュアンスは違うかもしれないけど、大まかなニュアンスは多分合っている筈。

 
あくまで私の薄いニチョケン歴で感じたことで、直接本人のことなんて知りもしないのだから、イメージでしか語れないという前提があるけれども、小堀氏は大人だけど、とがってる男の子の部分をいつまでも持ち続ける人であるように思う。
 そして、時々、ハッとする程、骨っぽい一面を見る時がある。
 
私が小堀氏の骨っぽい一面を初めて見たのは、2001年の1月に番組の公録を見に行った時だ。
 30分×2=60分番組なのに、この収録は実に4時間半も掛かった。
 私はこの時生でニチョケンを見たのは2回目だったので、長ければ長いほどオイシク感じ、別に収録時間の長さは気にならなかった。
 ニチョケンの2人もずっと舞台にいて、持ち歌を唄ったり(「逢いたくて」&「かあちゃん」)、トークをしてお客さんを飽きさせないでいてくれた。
 この番組はスター原石の素人さんを発掘しようというコンセプトで、この収録はその中からチャンピオンを決めるものだった。
 ゲストに山崎邦正さんも来ていた。
 その時、候補者のシロートの1人がイキッて、邦正さんに絡んだ。
 見ていた私は(コイツ、アホか)と冷めた目で見ていた。邦正さんもニチョケンも芸人なのでそれをうまいこと笑いに変えて繋いだ。

そして、カメラが回ってないフリートークの時、小堀氏がそのことに触れた。
 「さっきねぇ、テレビに映ってる姿がホンマの邦正さんやと思いこんで絡んでた人いたでしょう。あんなんダメですよ。素人さんはすぐあぁやって思い込むけど」
その時の小堀氏の顔つきは、とても「ヘドロ」だの「ハグキ」だの言われてる人とは思えないほど、キッと引き締まってた。
 芸人をどこか小馬鹿にした感じだったさっきのシロートに対しての、芸人・小堀裕之の譲れない意地、というかプライドめいたとこが垣間見えた気がした。
それからも、「オフオフ」やその他の番組・雑誌インタビュー、ライブやイベントなどで、意外なほど骨っぽい一面を私は知るようになる。

テレビはカットされるから、伝わらないところがある。
 収録や2丁拳銃のライブに行った事が無い人は、小堀氏を
 「巨乳と水着のおネ−ちゃんが好きなヘドロくん(失礼…m(_ _)m)」と思い込んでる人がいるだろう。
 私はそれが非常に悔しい。
 テレビが映すそれだけが小堀氏の全てじゃない。

小堀氏にとって、お笑い=ROCKだ。
 小堀氏は、お笑いというものをカッコイイと思ってる。
 彼はお笑いはカッコイイことなんだということを世間の人達に伝える人になりたいと思っている。
 小堀氏を知らない人達はそれを聞いて笑う。
 「何を戯けたことを…」とでもいいたげに。はっきりと口に出して言う人もいた(私の周囲にだが)。
 “カッコイイ”をビジュアルと勘違いして大笑いしたスットコドッコイもいた。
 小堀氏を知ってる私は笑わない。
 夢物語とも思わない。
 小堀氏1人でやるのは難しいんじゃないかとは思うが。

小堀氏はお笑いはカッコイイものだと伝え続けようとしている。
 小堀氏の夢を笑った人を(何も分かっとらん)と可哀相に思うぐらい、カッコイイことをやっていると思う。
 目指すものは“ROCK”。それがどんな形のものか、見届けられたら良いなぁと思う。

*****
この文章を書いてる途中に、小堀さんはうたツアー東京公演でファンに入籍報告を行いました。
 「ニチョケンのプレーボーイ担当」だの「飲み屋に違う女の子ばかり連れて来る」
 だのと言われてた小堀さんが選んだお相手は高校時代の同級生でした。
 交際期間は11年。
 伝わってた小堀評に反して、小堀裕之は、やっぱり、“ROCK”な男でした(*^ー^*)。
 おめでとうございます、小堀さん&奥さん。

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(01/10/15)



            2.−いつも笑顔でいることのすごさ− 川谷修士

修士さんの印象は見事に笑顔しかない。
 それも、見てるこちらが気持ち良くなる、トゲトゲにささくれていた気持ちをどこかに連れ去って行く笑顔。
 男の人は、あんまり笑顔がいいとか言われても嬉しくないかもしれないが(しかも年下から)、私は少なくとも修士さんの笑顔で確実に癒され、救われた。

私の宝ものは初めて2丁拳銃を見に福岡の劇場に行った時に撮った修士さんの写真だ。
 舞台の下に降りて来て1番前に座ってる人と握手し出した2丁拳銃。
 私も手を伸ばせば届く位置にいたけど、身体が固まってしまって動けず、そのかわりその握手をしようと手を差し伸べてる修士さんの姿を思わず撮った。
 その写真の修士さんはとても優しい顔をしていて、1番好きな顔だ。

その写真を撮った数日後、修士さんの笑顔は、悲しみや辛さ、せつなさ、寂しさ、色んなことを経験した人の笑顔であることを知った。
 2丁拳銃は2000年に東京進出を果たした。
 東京に引っ越して間も無い頃、修士さんのお母様は亡くなる。
 2丁拳銃の代表的番組といえる「吉本超合金」が始まった頃に倒れたお母様は、みんなが泣いた「吉本超合金最終回」の直前にこの世を去った。
 修士さんがそんな状況であったことは多分相方と一部の芸人さんしか知らなかっただろう。
 それぐらい、修士さんは辛いことが起こってるなんて傍からは分からないぐらいいつも笑顔を見せて仕事をしていた。

修士さんには笑顔の印象しか無いから、このことについて知った時、本当に驚いた。
 そして泣いた。
 修士さんを凄いなぁと思った。

 その思いは、そのことを知った数日後、私も自分の母親が修士さんのお母様と全く同じ病気で倒れ、1ヶ月後には修士さんと同じ状況になってしまってからは強くなった。

私は悲しみのどん底にいた時、偶々長崎のタワレコで「F拳」のビデオを見つけた。
 福岡でも見付けきれなかったビデオがおあつらえ向きに売られていた。
 それを従兄から買ってもらい、家に帰って再生してみた。
 ビデオに収録されている修士さんはお母様が亡くなる直前ぐらいの修士さんだ。
 画面のむこうにいる修士さんはそんなハードな状況でいることを微塵も感じさせないほど、小堀氏のボケに元気につっこみ、FUJIWARAや小堀氏と明るく戯れていた。
 そして、やっぱりそのビデオの修士さんの笑顔は悲しいぐらいに良い笑顔だった。

 私はそのビデオを見ながらいつのまにか笑えてる自分がいることに、ほっとした。
 本当に楽しくて、おかしくて笑った。
 その時までは、ベタな話、見るもの全てが全て空虚だった。
 TVのむこうがどんなに楽しそうでも関係無い。
 TVのむこうがどんなに悲しそうでも関係無い。
 ニチョケンの「捨て力士」でそんな感情が消えて行くなんて…(^^;。

初めて見た2丁拳銃の単独ライブ「ピストルモンキー フィーバーマン」で私が好きなセリフがある。

「元気なツッコミがオマエらしいわ」

小堀氏が修士さんに言うセリフ。
 修士さんのエピソードを知ってる人達にはとても重いセリフだった。
 でも、一番、修士さんの魅力を語ってるセリフだと思った。

芸人さんは人を笑わせることが仕事だ。
 そして2丁拳銃を見る度、見に行く度に私は笑う。
 笑うことで元気になる。
 面白いことを面白いと思える自分に安心する。
 こんなこと、芸人さん以外、誰にも出来ない素敵な役割だと思う。

修士さんが芸人でいてくれて良かった。
 あの時期、2丁拳銃が偶然TVで漫才をしているのを見ただけで、修士さんの笑顔が見れただけで、私は救われ、癒された。
 母親が亡くなる前は、
 (修士さんは頑張ってた)、
 母親が亡くなった後は、
 (修士さんは頑張ってる)、
 と思ったら何となくそれだけで今日1日だけでもとりあえず頑張ってこなそうと思えた。
 
 修士さんと同じ状況だった人は私以外にも大勢いる。
 修士さんのエピソードを知ってる人は私と同じように、自分と同じ状況下なのにそれでもあの笑顔で仕事をこなしてた修士さんに思いを馳せ、何とか励みにしているだろう。
 こんな風に自分の知らないところで誰かの生きる励みにされてる修士さんは、今日も劇場や番組収録の仕事をこなしているだろう。
 あのバツグンの笑顔を時に見せながら。

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(01/10/15)



   3.−電流走る、2丁拳銃駆け抜ける−2丁拳銃

2丁拳銃を「見つけてしまった」時のあの感覚。
 まるで、身体に電流が走ったかのような衝撃だった。
 その面白さを「知ってしまった」時のあの感覚。
 どんどん2人に惹きつけられて行って戻って来れなくなりそうだった。
 あれは何だったんだろう。
 
 初めて、2丁拳銃をちゃんと『2丁拳銃』として意識して見たのは2000年7月27日O.Aの「いろもん2」。
 最初は何の気なしに見ていたのだが、時間が経つにつれて、
 (この人達…面白い。私の好きな感じの人達だ)
 (こんな人達がいたんだ。売れて欲しい〜)
 (えっ?もうすぐ終わり?うわっ、ビデオ撮れば良かった。かなり誤算だった。こんなに気になるとは…)
 と、たった30分で、私は2丁拳銃が気になって気になってしょうがなくなってしまっていた。
 
私は、俗に言う“東京進出後”にファンとなったので、大阪時代の2丁拳銃のことは、あまりよくは知らない。
 でも、ファンの方が開いてるサイトにある大阪時代にやってたライブのレポや、公式BBSなんかを見てたら、とても大阪(関西)で愛されてたことがよく分かる。
 出来ればこの頃から知っておきたかったなぁと思うこともある。
 でもそれを知ることは不可能だから、せめて自分が知ってからの2丁拳銃のことは都合とか事情が許す限り、見続けたいなぁ、見れたら良いなぁと思っている。

TVの2丁拳銃。ラジオの2丁拳銃。舞台の2丁拳銃。営業の2丁拳銃。歌手の2丁拳銃。
 幸い、この1年で色んな2丁拳銃を見ることが出来た。
 「小堀さんが結婚する」という喜ばしい出来事も起こった。
 リアルタイムで喜べて本当に嬉しかった。

「2丁拳銃」を人間に例えたら、8歳で小学校2年生。
 私はある程度大きくなった7歳の頃からしか知らないくせに、2丁拳銃を見てたら、図々しくも「2丁拳銃」が誕生した頃からずっと見ている母親であるかのような気持ちになる。

 全国ネットのTVに出ると知ったら、あちこちに宣伝し、わくわくして正座なんかしちゃったりしながらその時を待つ。
 しかし、中々喋らせて貰えてなかったり、前に出て行こうとしてるのに中々出て行けなさそうなとこを見たら、やきもきする。
 やっと話の順番が振られたら振られたで、今度は滑りはしないだろうかと心配になる。
 関西以外の地域の公録やライブに、お客さんが多かったら、ほっとする。
 知名度がある人達や先輩達も多く出ているイベントで一番ウケを取ってるのを見たら、自慢に思う。
 
普段は、
 「私が面白い、好きだと感じれたら別に売れようが売れまいがどうでも良い」
 と思ってる私も2丁拳銃に関しては、見境無く
 「こんな面白くて感じが良くて素敵なコンビが売れなかったら嘘だ。笑いの神様、彼らに微笑んで味方して!」
 と過剰に力を入れてしまう。
 この2人の面白さや良さが分かって貰えなかったら、世の中どこかおかしいんじゃないかとも思ってしまう。

私は、芸人がCDを出すのって実は嫌いだ。
 出す必要も歌で売れる必要も無いだろうと思うからだ。
 だから、2丁拳銃を好きになりかけの頃、私は
 「歌手・2丁拳銃」
 の部分を好きになれるかどうか不安だった。
 聞く機会が無かったので、どんな歌を唄ってるのかも知らなかった。

 初めて聴いたのは「ラブソング」だった。
 良い歌だとは思ったけど、まだちゃんと聞くのは何だか照れ臭かった。
 私が決定的に
 「歌手・2丁拳銃」
 を好きになったのは「いつだって…」だった。
 中古CDショップで「逢いたくて」「いつだって…」「空を見上げて」が売られてたので、買ってみた。
 「いつだって…」を再生した時、驚いた。
 
 何故か
 「いつだって…」は、昔聴いたことがあった。
 多分、有線か何かで流れたのを偶々聴いたのだろう。
 そして、そのとき、私は
 (誰が唄ってるんだろう。良い歌だなぁ。この声好きだ)
 と思った記憶があった。
 当時は2丁拳銃がこの曲を出してることすら知らなかったし、多分唄ってる2丁拳銃の存在すら知ってるようで知らなかった頃だ。
 
 無意識的に
 「芸人が出してる歌なんて…」
 という偏見をこれまで持ちながら聞いていたのだろう。
 もう一度、今度は2丁拳銃が唄ってるとか、彼らは芸人だとか、そういうことを抜きにして聞いてみることにした。
 すると、単純に
 (この歌詞好きだなぁ)とか、(このサビ好き)とか(ここのハープカッコイイ)とかそういうことにどんどん目が行った。

 歌手・2丁拳銃に抵抗を感じなくなった私は、予約はしなかったものの、売ってる店を求めて3軒くらい探して
 「青色」を、新譜で買った。
 ファン歴6年のspitzの新譜すらアルバム以外買わない私には画期的な出来事である。


2丁拳銃が売れるかどうかは心配だけど、どこか落ち着いていられたりもするのは、2丁拳銃を凄く信頼してるからかもしれない。
 歌もお笑いも中途半端にならないし、どっちの活動も手も力も抜かないでやる2人だ、という強い確信がこちらはある。

 コントでハゲづらをかぶって冴えないおっさんになってる姿や、おばちゃんメークをしてオカンになりきってる姿はハマリ過ぎて笑ってしまう。

 スーツ姿でセンターマイクの前に立って漫才をしている姿は、一番芸人のオーラが感じられて惚れ惚れする。

 弾き語りやハープを吹く姿は、何度見ても上手いなぁと思い、音を本当に楽しんでる2人だなぁとか思う。

どの時の2丁拳銃もファンはきっと好きだろう。
 歌をやってる2丁拳銃、お笑いをやってる2丁拳銃。
 ファン以外の人にどちらの2丁拳銃も見せても全然恥ずかしくない。
 むしろ、見て欲しいし、知って欲しい。

私がはっきりと2丁拳銃に食いついた(表現はちょっと汚いが)のは、やっぱり単独ライブの素晴らしさにあった。
 2000年10月以降の2丁拳銃しか知らない私が初めて行けた単独ライブは
 「ピストルモンキー フィーバーマン at ルミネtheよしもと」
 だった。

 私が2丁拳銃の凄さを思い知ったのはこのライブにあると言って良い。
 2丁拳銃の底力とかそういったものを肌で感じて、ぞくっとしたのを覚えてる。
 終演後、何だか気が抜けながらも、身体が熱かった。
 正直な話、「タイタニック」も「グリーンマイル」もいまいち良さが分からなかった私が、「フィーバーマン」では何度か泣いてしまったのだ。
 ホテルに帰ったら余韻と感動がずっと頭を巡っていた。
 (あぁ、私はこれで完璧に2丁拳銃のファンになった)と思った。

 「お笑いのライブでいくら何でも感動はしないよ」
 と、私の感想を聞いた人達は一様に苦笑いしながらこう言った。
 これは、私が嘗て抱いてた
 「芸人が出す歌が良い筈が無い」
 の思い込みと同じことのような気がする。
 ろくに味わいもせず、思い込みで判断する、という。

お笑いのライブで感動することはある、と私は断言出来る。
 でも、それをやれるのは、凄い技術と力が必要だ。
 2丁拳銃はそれが出来る数少ない芸人の内の1組であると私は思ってる。
 だから、今度また単独ライブが再開されたら、色んなことを何とか都合つけて行ってしまうと確信している。
 あんな凄い舞台を見せられて、2丁拳銃の舞台の良さを知ってしまったら行かずにはいられない。

こんなに素敵な2人のことを知らないで過ごすのは、人生の楽しさの数%を損しているような気がする。
 …やっぱりこの不遜な考えに私はどうしても行きついてしまうようだ。

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(01/10/15)
      

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