つるべ、らくごのお稽古 IN 下北沢 VOL.4
(08/4/30 at LIVE Bar 440)
[出演]
笑福亭銀瓶/笑福亭鶴瓶
<はじめに> 昨年の今頃ぐらいに始まったこのイベント。 “平日昼間に当日券のみ”、という公演であるため、「行けるか〜っ!」と告知を見るたびに絹のハンカチを噛み締めながら悔し涙に暮れたものだが、今回は休日勤務の代休を取れたため、急遽参加可能に。 “有休”“代休”という社会人の特権と事情が許せば行けるものである。 今日は落語友のともさんも一緒に行けるので、嬉しさ楽しさもまたひとしお。 12時半開場/13時開演だが、整理券配布の時間やどれぐらいの人数が来るイベントなのか分からなかったので、用心に用心を重ねた結果、我ながら(…張り切りやなぁ)と思ったものの午前10時に下北沢駅で待ち合わせすることに。 しかし、開場に2時間半ぐらいあるにも関わらず先客は既に10人ほどいた。 笑福亭鶴瓶のファン、実は静かに熱いと見た。 吉本のライブのように開場30分前ぐらいにならないと整理券は配らないと思っていたら、店の前に行列される通行に邪魔なためか、10時には整理券を配布してくれた。 お蔭でミスドでゆっくりお茶しながら時間潰しが出来た。 時折、窓から「鶴瓶さん通らないですかね〜」とか言い往来をチェックしつつ。 一人、体型が似てる人が近づいてきたので密かにどきどきしたものの、至近距離で見たらただの肥えたおばんだったのでがっくり。 ドキドキを返せ、と言いたい。 定刻どおりに開場。 適度に見えやすい席を確保したが、何せキャパ70〜80人ほどのライブハウスでの落語勉強会。 どこに座っても見えると思う。 それでもかなりの至近距離でした。 そして、鶴瓶さんも「平日の昼間やし、告知もしてへんから、まぁ来てくれたらええなぁ、と思ってたんですけど…仰山来てくれて(含み笑い)」と言うぐらい、会場は満杯。 鶴瓶さんの言葉に何となく苦笑い交じりに視線を伏せるお客が大多数。 別に皆さんさぼってはいないんでしょうけどね(^^;。 開演待ちの間、何故か鶴瓶さんが楽屋からひょっこり登場。 すぐに楽屋に戻られたものの、反射的に「あっ!」と思わず言ってしまった。 どう頑張っても咄嗟には“あっ!”以外言えないものだなぁ…と思う。 <開演> 生の太鼓とお囃子が至近距離で聴ける(というか丸見え)中、赤のロックテイストなTシャツを着た鶴瓶さんがマイク持って登場。 開口一番で誰か前座さんかお弟子さんが出るのかと思っていたので、のっけからの鶴瓶さん登場についついにんまりする。 お客さんが2人ほど、下北沢の勉強会の再開について手紙を送ったらしく、それが再開のきっかけだったそう。 手紙を送ったお客さんはもちろん出席。 この勉強会についてさらりと説明する鶴瓶さん。 「鶴瓶版死神」のネタおろしはこの会場だった、と。 京都の落語会で「鶴瓶版死神」をやると聞いていたので今日やるのでは?と密かに踏んでいたのだが今日はやらない、とのこと。 今日はお弟子さんの銀瓶さんが一席。 その後、鶴瓶さんが古典を一席するとのこと。 鶴瓶さんの演目は「たちぎれ線香」。 2年前の青山寄席で聞いた時ぼろ泣きし、(私、笑福亭鶴瓶のファンなんです!だって、彼の落語凄いんですもん!)と、自分が鶴瓶ファンであることをカミングアウトする勇気をくれるきっかけとなった思い出の演目だ。 今年も「たちぎれ線香」を聞けるとは思わなかった。 <笑福亭銀瓶「宿題」>/ 銀瓶さん曰く、“鶴瓶一門の弟子13人で落語をやりたくて入った人間は一人もいない”とか、“内弟子時代、師匠の書斎を掃除したら米朝師匠の全集があったので、(さすが師匠。落語やってない言いながら実は色々研究したはんねんなぁ)と思ったが、よくよく見たら全部未開封だった”とか、“一時は師匠にネタ数が勝っていた”とか、色々鶴瓶一門ならではの裏事情を暴露。 師匠がそんな感じなので、落語家に入門したものの自分が落語をやるようになるとは思っていなかったとか。 在日韓国人三世である銀瓶さん。 韓国語を全く話せなかったそうですが、“師匠と同じことをやっても意味が無いので、師匠がやらないことをやろう”と思ったら韓国語落語に行き着いたそう。 韓国語落語の小噺も一つやってくれました。 今では韓国で韓国語落語の公演をやったりするほど。 落語は桂三枝師匠の創作落語「宿題」。 落語を聞きながらついつい一緒に問題を解こうとする自分がいた(^^;。 つるかめ算って考えたらありえないことが前提だよなぁ、とこの噺を聞いて笑いながら気づいた。 <笑福亭鶴瓶「たちぎれ線香」> 渋く若干金色がかった茶色の着物に着替えた鶴瓶さん。 袖で「宿題」を聞いていた鶴瓶さんは、端から問題への挑戦は放棄していたそうな(笑)。 パペポの「つるかめ算ができない!」エピソードを思い出した。 ちなみに、当時の素人が鶴瓶さんに送ったつるかめ算攻略法のマンガ本は、今だに重版中。 「たちぎれ線香」をやる時はおなじみの“お茶屋のシステム〜一本立ちの由来とは?”を解説。 毎回、“一本立ち”の語源には「ホォ〜」という感嘆の声が上がるので可笑しくなる。 松鶴師匠から落語の英才教育を受けるどころか、“笑福亭の捨て育ち”の異名をとる鶴瓶さんだからこそやってくれる講座だよなあと思う。 青山寄席に行った時に聞いた「(事情や背景が)分からんと楽しないし、面白うもないでしょ。古典落語なんて眠たぁなるでしょ」という鶴瓶さんの言葉に当時の私はどれほど安心して救われたか。 鶴瓶さんの「たちぎれ線香」を聞くのもこれで4回目。 毎回聞く度に鶴瓶さんが主眼を置いて演じる人が違うなぁと思う。 今回は若旦那に主眼を置いていたように思う。 初期の頃、鶴瓶さんはこの若旦那の甘ったれ具合や軽さが大っ嫌いで「共感するところが一つも無い」と言い、主要人物の一人であるにも関わらず扱いが軽かった。 番頭も時代劇で見る越後屋そのものの悪どさで、腹が立つほどだった覚えがある。 当時は小糸と女将の演じ分けに重点が置かれていて、小糸の純粋さと女将の凛とした気丈さが美しくも悲しい世界をより際立たせ、ほろほろと涙が零れた覚えがある。 昨年の大銀座落語祭では、番頭の印象がまるで違うものになって驚いた。 セリフ自体は変わらないのに、前年の青山では偏見持ちの利己主義としか取れなかった行動(小糸の手紙を若旦那に教えなかったり、小糸の手紙が80日目で途絶えたことにたいする言動など)が、店と何より若旦那の将来を思う余りに憎まれ役を敢えて引き受けた覚悟ゆえの行動という風に変化していた。 そして今回。 “甘ったれで軽くて大嫌い。共感するところが一つも無い”と言い切っていた若旦那の演じ方が今までと少し違うように思った。 軽くて甘ったれで典型的なボンボンという設定に変化は無いが、若旦那が蔵に閉じ込められた100日間に何を思って何を励みに過ごしていたのかということがより詳しく見える演出だった。 私は常々「たちぎれ線香」を聞く度に、(若旦那は蔵に入れられたとき、小糸と約束していたことを覚えて無かったんだろうか?小糸に“かくかくしかじかな事情で今回の約束は反故することになったが、絶対に埋め合わせる”みたいなことを定吉に伝えてもらう方法とか取れたんじゃないのか?)という余計な茶々のような疑問が浮かんでいたのだが、今回の演出だと、私の疑問は払拭される。 甘ったれの若旦那なりに課していた覚悟の存在を思い知る。 結局それは独りよがりに過ぎず、一番大切にしていた相手に伝わらずじまいではあったけれど。 「たちぎれ線香」の登場人物は、相手のことを思いやる気持ちに溢れているのに、その思いがちょっとずつすれ違い、結果的に悲劇を招く。 悪気はどこにも存在しないのにハッピーエンドにならない。 それでも後味悪いものにはならず、悲しくも美しい印象で終わる。 この落語のサゲは二通りある。 「小糸はもうひかしまへん。お仏壇の線香がちょうどたちきれました」 と 「小糸はもうひけしまへん。お仏壇の線香がちょうどたちきれました」 の二種類。 米朝師匠や文枝師匠のサゲは後者。 鶴瓶さんのサゲは前者。 私は後者の方が、より小糸の悲劇が伝わる気がして好きだったが、今は「ひかしまへん」でも良いように思う。 「線香が立ち切れる」は「客との契約時間が終わる(昔は時計代わりに線香が燃え尽きるまでを芸妓遊びをする時間としていた。より長く遊ぶためには線香を2本、3本と予め多めに言っていたそう)」を意味する。 「ひけしまへん」だったら、“ひきたいけどひけない(可能)”という意味になり、小糸の置かれた境遇への哀切がより際立つ。 「ひかしまへん」は、“ひける(ひこうと思えば?)けれどひかない(意思)”という意味になり、小糸と若旦那の関係が、買われる側の芸妓と買う側の御主人であることの強調がなされる気がするので、何となく興ざめだった。 だが、愛娘の最期を切々と語りながらもお茶屋の女将であることへの矜持を保つ女将から生まれた小糸ならば、若旦那から貰った愛情を胸に抱きながらも、“南地の紀ノ庄の芸妓”である自分の境遇を悲嘆しながら逝くようなことはなかったのではないかと思う。 若旦那に愛されたことを実感し、若旦那が好きだった地唄の「雪」を弾き語って100日の蔵住まいから解放された若旦那を楽しませるという芸妓の最後の仕事を勤め上げて、あの世に召されたと思いたい。 小糸が公私を混同しない一人前の芸妓であるからこそ出る「ひかしまへん」だと思う。 鶴瓶さんがやる「たちぎれ線香」は聞いた時期で印象が違いますが、<悲しいぐらいに美しい世界>という印象は一貫しています。 (あぁ、いいなぁ)とうっとりしながら会場を後にします。 ある意味、“落語デトックス”、“つるべデトックス”です。 でも、鶴瓶さんの落語に感動した後は大概、(…あの高座をやった人と同一人物か!?)と我が目と我が耳を疑うぐらい、テレビやラジオでありえないぐらいに冴えないエピソードや超エロ話を嬉々として話す姿に遭遇したりするのですが(^^ゞ。 でもこのギャップがまたたまらなかったりして、ずるずるとハマっていくのです。 恐ろしや、鶴瓶マジック。 (08/5/1 記) |