ハナムケのハナタバを旅立つハリガネロックへ…
笑い過ぎで苦しくなるぐらいの漫才を今まで見せてくれてありがとう、ハリガネロック。
今現在(02/3/26)一番多くライブで見てるのはハリガネロックだ。
2000年に2回。
2001年に13回(bJt含む)。
2002年3月現在で2回。
もちろんこれ以降も増える予定でいます。
当然でしょ。
ハリガネロックのライブに行って一番楽しいのはイベントレポートを書く時だった。
キーボードを打つ手がもどかしいぐらい次から次に報告したいことがあった。
早く見せたいのに中々書くことが尽きないという楽しいジレンマがあった。
イベントで感じた雰囲気に合う壁紙を探すのも楽しかった。
01/12/14のbase単独レポはそういった意味で結構納得が行っている。
私が常々「好きだ」と広言している芸人さんは「千原兄弟」「2丁拳銃」「ハリガネロック」の3組だ。
このうち2組は気づいた時は東京を活動の拠点にしていた。
私は好きなコンビのいわゆる「卒業」を経験したことが無かった。
だからハリガネロックは、私がいわゆる「卒業」を経験する初めてのコンビだ。
いつ頃からだろう、2001年の終わりごろだったろうか。
ハリガネロックの身辺は騒がしくなっていった。
イライラした。
本人の芸以外のとこでファンじゃ無くなることほどアホなことは無いと思いながらも、正直なところ危なかった。
今まで無縁で、それすらもネタになってた「きゃーっ!」が漫才中に起きるところを目にした時は足元が崩れそうだった。
人気が無いハリガネロックが好きなのかという訳では無いけれど、あんまり嬉しい現象ではなかった。
「広告批評」や自分のコラムでユウキロックはハリガネのファンについて語ってる。
大事なのはその「ファン」というのは「その時点でのファン」ということだ。
「ハリガネロックのファン」というだけで無条件で誇りに思わないだろう。
色んなマナーやルールを弁えた上での「ハリガネロックのファン」を彼らは誇りに思ってる筈だ。
話が逸れた。
東京進出云々で騒がしかった頃は色々不毛な争いが繰り広げられていた。
これがあのハリガネロックのファンかというぐらいに。
だから、3/1に東京に行くことが正式発表された時はホッとした。
これで決着づいた、と。
彼らは行くんだ。
行くことを決めたんだ。
何があろうと。
何を失おうと。
当初発表された4月のルミネtheよしもとのスケジュール表に「ハリガネロック」の名前は無かった。
ルートが東京に行った時は5じ6じMCにいくつか名前があったので正式発表を待たなくても東京に行くことの予測はついた。
ところがハリガネの名前はどこにもない。
ネットの影響力が分かってたのでごたごたが落ち着くまで書かなかったけど「解散」を本気で危惧した。
あんだけ東京に行くの行かんので割れて結果が「解散」だったら何て皮肉な結果なんだ、と一人やきもきした。
だから「東京に行きます」と聞いた時は違うとこで安心した。
(解散しないなら東京だろうが外国だろうがどこでも良い)なんて思った。
私は関西人じゃない。
しかしややこしいことに「関西じゃないけど割にハリガネ事情は良かった福岡人」だ。
だからあんまり大きなことは言えないけど
「これから関西で見れなくなるから東京に行かれるのはいやだ」というのは分かるけど理解はしたくないと思った。
関西(+福岡)以外の人たちは今までいっぱい我慢してきた。
オンエアバトルとCSぐらいしかハリガネロックはテレビで見れない。
ライブに行ける人はいい。
行けない人の方が多い。
テレビやラジオやbaseなどでハリガネに触れられる環境を羨ましく思ってた人は大勢いただろう。
東京に行くことは関西を捨てることじゃない。
ネタの一部が東京の地名になることぐらいはあるだろうけど、お笑いは「共感」が大事だ。
東京で関西の地名を言われても面白くも何ともない。
分からないから。
それが「環状線」が「山手線」に変わっただけでぐっと身近に感じられて面白くなる。
「クニヒロくんとユウコちゃん」にデートのネタがあるけどそれを博多でする時は
「USJ」が「キャナルシティ」に変わる。
USJでも笑えるけど身近なキャナルに変わったらそれだけで嬉しいしぐっと入りこめる。
そんなものだ。
今まで私はいっぱいハリガネロックからは「嬉しさ」を貰って来た。
深夜の生番組に6回も来てネタをしてくれた。
「チョロQ方式(大阪→福岡→勢いつけて東京進出)」と宣言するぐらいほぼ月1で福岡のG劇場に来てくれた。
単独直後だとそれは新ネタが多かった。
だからネタのタイムラグは私は少なかった。
へこんで落ち込んでた時は、ハリガネのライブに行くことで元気を回復させることが出来た。
ハリガネロック(+2丁拳銃)のファンじゃなかったら遠く離れた福岡でラジオ大阪を聞こうとするなんてこの年でやろうともしなかっただろう。
韓国語放送やロシア放送を押しのけて
「ハリガネロックの」「OBCブンブンリクエスト〜!」
「お菓子なバトルト〜ク」
「ブンブンシンジケート」
などの声がクリアーに入った時の喜びは無かった。
テープに録音するなどは出来る状態じゃなかったが今でもラジオの声は覚えてる。
これからのハリガネロックは今までの倍の人に私が感じたような「嬉しさ」を提供するだろう。
最初の内は中々舞台以外で姿を見ることは難しいと思うがそんなのはこちらも承知している。
そんなの関係無い。
「ハリガネロック」が「ハリガネロックであること」だけでいい。
それ以上は望まない。
漫才をしなくなったら嫌だ、とかいう声もある。
東京に行ったら漫才を捨てるんじゃないか、とか。
私はハリガネロックじゃないけどこれだけは言いきれる。
あの2人は漫才を決して捨てない。
そして捨てられない筈だ。
あのM-1決勝でゴールデン全国ネットの中で薬中のネタをやるような2人だ。
自分達が良いと思ったことをやる2人。
テレビで漫才が出来なかったら舞台でやるだろう。
何かの間違いで舞台を追われることがあったら路上でもやるだろう。
センターマイクが使えなかったら地声でやるだろう。
あんまり断言は(ましてや人のことで)出来ないけどこれは断言出来そうだ。
ハリガネロックが漫才をやらなくなった時はハリガネロックがハリガネロックでなくなる時だろう。
もしそうなったらそれはその時で考えればいい。
とりあえず今は動き出したハリガネロックを見ていくだけだ。
偉そうにも私がハリガネロックに一言贈れるとしたらこれしか思いつかない。
ハリガネロック、ファイト。
-Nobody knows what will happen in the future.
So I(or we) hope Harigane Rock is wil be happy.-
(02/3/26)