立川談春 25周年スペシャル独演会−THE FINAL−「たちきり」
10/3/27 東京厚生年金会館(昼の部)

 1.粗忽の使者 2.愛宕山 (仲入り) 3.たちきり、という構成。

「たちきり」は、若旦那が蔵に100日閉じ込められることになった経緯や、小糸との馴れ初め部分は説明のみで流し、番頭と旦那がいつ若旦那を蔵から出すべきか相談を始めるところから噺は始まる。
 なお、サゲへの重要な伏線となる“一本立ち”の成り立ちはちゃんと説明。

旦那夫妻は、蔵住まいも50日が過ぎ、息子も反省しているからそろそろ出してあげてもいいと思っている。
 女将は、番頭は嘗て芸妓と添い遂げたかったが、それを旦那に反対されたため、その時のことをいまだに恨んでいるから若旦那を閉じ込めるという嫌がらせに出ているのではないかと邪推している。
 しかし、番頭はそんなことは決してないと断言。
 小糸から実は若旦那宛てに毎日手紙が届いており、この手紙が100日続くようであれば、若旦那と小糸の仲を許して欲しいと思っている、と。
 100日後はちょうど七夕。
 織姫と牽牛は、かささぎという鳥がいて初めて会うことが出来るという話から、この手紙がかささぎの役割を果たしてくれれば、と期待する番頭。

七夕。
 100日が明け、蔵から若旦那を出す番頭。
 早速小糸のところへ行きたいと頼む若旦那に、番頭は手紙の件を切り出すが 肝心の小糸の手紙は80日で途切れてしまった、若旦那が心変わりをしてしまったのならこれ以上金が取れないと見込んだ芸妓との仲は80日で切れるものだったんです、と諭す。
 小糸はそんな女ではないと、番頭の説明が信じられない若旦那は最後に届いた手紙を開封する。
 そこはまるで薄墨で書いたかのような力のない筆跡で、来て欲しいという旨が書かれてあった。
 日暮れ前には必ず帰ると番頭に約束し、小糸の真意を探るため、小糸がいる店へ急ぐ。
 店に着いた若旦那は挨拶もそこそこに、小糸に会わせて欲しいと女将(小糸の母)に頼む。
 100日間音沙汰なしだった若旦那が突然訪れたことに面喰いながら、母親は若旦那を中に入れる。
 しかし、若旦那が通されたのは仏壇の前。
 冗談がきついじゃないかと怒る若旦那に母親は、真新しい白木の位牌を見せる。
 そこには小糸の名前が彫られていた。
 
 嘘だ、あの小糸が死ぬわけがない、誰が殺したんだと食ってかかる若旦那に「誰が殺した、って…。誰が、というなら若旦那、あなたじゃないですかね」と静かに呟く母親。
 命の炎が燃え尽きるまでの小糸の様子が、淡々と、それでいて切々と母親の口から伝えられる。

自分が蔵住まいを余儀なくされている間に起きてしまった事態に愕然とする若旦那。
 亡くなる直前に届いた自分から小糸宛の贈り物である三味線を仏壇の前に持ってきてもらい、線香を手向ける。
 すると、鳴る筈がない三味線が鳴り始める。
 あんなに会いたかった若旦那がやっと来てくれたのだから、小糸もご挨拶をしたいのだろう、と一同。
 あの日は帰りに夜桜見物をするつもりだった、来年は一緒に行こうな、次の年もその次の年も、ずっとずっと一緒だ、私は女房と名のつくものはこの先持たないから、と小糸に語りかける若旦那。
 しかし、そんな若旦那に母親は「いいえ。ここを一歩出たらあの娘のことは忘れて下さい」と静かに告げる。
 驚く若旦那に

 「誰も悪気はないんです。あなたと小糸はただ悪縁だった。こうなる運命だったんです。それに若旦那は大家のお方です。いつまでも小糸のことを思ったままではいけないんです。人間は、良いことも悪いことも忘れるから生きていけるんです。私は、小糸は若旦那のことが信じられなくて死んでしまったとは思いません。あの娘は芸妓です。若旦那との仲が終わって仕事を続けていたら、いつか、若旦那のことよりも好きになる相手が現れるかもしれません。あの娘はそれが嫌で許せなかったんだと思います。若旦那はあの娘のことを忘れて下さい。その代り、私が覚えていますから。ずっとずっとあの娘のことを覚えていますから」

 と、母親は穏やかながらもきっぱりとした口調で諭す。

そこで、三味線の音が鳴り止む。
 何が起きた、もう一度弾くようにしてくれ、と頼む若旦那。
 三味線や仏壇の周りを確かめていた母親は、線香立てを見て、あぁ…と納得する。

「若旦那、線香が立ち切れました」。



[感想]

私が落語に大いにはまるきっかけとなった噺であり、落語を好きでいる限りずっと追い続けていくであろう演目が「たちぎれ線香」であるため、感想も「たちきり」のみであることをご了承ください。
 “色んな演出や自分の解釈を押しつけて、原典が持つ味わいを壊す”という批難を目にすることが時々ある噺家のファンであるからか分かりませんが、談春師独自の肉付けがされているこの「たちきり」について、私はすんなりと受け入れることが出来ました。
 従来の噺と大きく違う点は、番頭と小糸の母親について。
 小糸の母親のセリフにもあるように、登場人物の誰もが悪意を持って行動をしていない。
 特に番頭は、若旦那のことも思っているし、小糸のことも思っている。
 こんな取り返しがつかない悲劇が起きるなんて誰も予想だにしていなかった。
 
 この噺がただの悲恋物で終わらないのが、小糸の母親の存在。
 運命を受け入れ、誰も恨まない。しかし、全て割り切って流されている訳でもない。
 談春師の噺に良く出て来る凛とした女性像ですが、それはこれまで彼女が味わって来たであろう酸いや悲しみが身に着いたゆえのものであることが漂ってくる。
 若旦那の「一生女房という名のものは持たん」に「ここを一歩出たらあの娘のことは忘れて下さい。人間は良いことも悪いことも忘れるから生きていけるんです。若旦那が忘れてもあの娘のことは私が覚えていますから。それでいいんです」の件は、芸妓という職業への矜持と、母親の娘に対する底深い愛情が嫌というほど伝わって来て切なかった。

色んな人の「たちぎれ線香(たちきり)」を聞くにつれ、この噺の悲劇の大元は、“善意”にあると思うようになっていたが、談春師の「たちきり」はまさにその通りだった。
 それぞれが相手のことを思っているのに思うようにならず、逆に大きな悲劇を招き寄せる。
 しかし、その悲劇をこれでもかというほどに見せつける救いの無さは感じなかった。
 涙を誘う単純な悲恋ものという印象とも違った。
 母親が生きている限り、“思い出”という過去の中でのみだが、小糸もまた生き続けている。
 何もかもが終わってしまう訳ではないというところに、僅かながらの救いを覚えて劇場を後にした。

なお、サゲの「線香が立ち切れました」の前には、あのセリフが入っていたが、それが「小糸はもう弾きません」か「小糸はもう弾けません」か「三味線はもう鳴りません」だったのかを聞きそびれてしまったので、省略しました。
 たちぎれ線香では、ここのセリフの使い方に噺家の解釈の違いが出て来るから非常に興味深いところだったから楽しみにしていたのに、噺に入り込んでいたので、その部分を意識するために素に戻ることを忘れていた。

(10/3/28 記)
 

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